【全国の山・天狗のはなし】
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▼23:茨城県の山
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| ▼23-01「筑波山・筑波法印」 【短略説明】 茨城県の筑波山の筑波法印といえば、『天狗経』に出てくる四十八 狗の中でも代表的な日本の天狗です。ここを開山した徳一上人が 磐梯の恵日寺で亡くなったことになっているが、実際は棺の中に 亡きがらはなく、天狗になって筑波へ帰ってきていると祖父から 聞いたことがあると、筑波神社老禰宜の話もあります。 ・茨城県つくば市と桜川市との境。 |
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| ▼23-01「茨城県「筑波山・筑波法印」 【本文】 茨城県の筑波山も筑波法印という天狗がいる山です。天狗小僧寅 吉も、筑波山に三十六天狗がいるといっています。筑波山は、山の 姿が美しく朝夕にその色を変えるため、紫の山、紫峰などと呼ばれ ています。標高は877mと高くはないのに、関東どのあたりからで も山の姿が見え、また山頂からは関東平野の雄大なパノラマが望め ます。そんなことから昔から「西の富士、東の筑波」と賞賛されて きました。 昔、天地できはじめのころ、天照大神(アマテラスオオミカミ) が筑波山に降りてきて、琴をつま弾くとその音に感じて、海の波が 山のふもとまで押し寄せてきたそうです。その時、海水が地面のへ こんだところに残り霞ヶ浦ができたという。波のつく山というので、 筑波山という名ができたという説(『日本伝説集』)もあります。 また「ツクバ」の名は、古代の人たちが関東平野の尽き果てると ころにある、そびえるこの山を「尽端」と呼んだことがはじまりだ という。さらに『常陸国風土記』筑波郡条に、当地に国造として 赴任した筑?命(つくはこのみこと)が自分の名にちなんで筑波 と名づけたとも。また山が握り飯に似ており、食べる時に手を付 くので「筑波」といったことからなど、諸説がフンプンとしていま す。 山腹には筑波山神社があり、また双耳峰の山頂部にはその奥宮が 鎮座し、男体山には男神のイザナギノミコト(筑波男大神・つくば おのおおかみ)、女体峰には、女神イザナミノミコト(筑波女大神 ・つくばめのおおかみ)をまつり、山岳信仰の聖地として、人々の 登拝が盛んに行われてきました。文学の世界にも多く登場する山で、 筑波山を詠った歌があの『万葉集』に、25首もあるというから驚 きます。 一方、筑波山は、歌垣(うたがき)の場でもあります。奈良時代 初期の『常陸国風土記』には、「坂より東の諸国の男女(略)相携 え、つらなり、飲食をもたらし、騎にも歩にも登り、たのしみあそ ぶ」とあります。歌垣とは?歌(かがい)ともいい、春と秋の2 回、男女が山に集まって、ご馳走を食べ歌を歌い、だれとでも一 夜をともにできる自由恋愛の行事。『万葉集』にも「あどもひて、 おとめをのこのゆきつどひ、かがふ?歌(かがい)に、人妻に、 われも交(まぐ)はん、わが妻に、人もこと問へ」と出てきます。 この日だけは、筑波の神の子として許された、神聖な神事だっ たという。この風習は日本各地で行われただけでなく、中国南部 からベトナム、インドシナ半島、フィリピンやインドネシアでは いまも行われているとか。 さて、筑波山を開いたのは、奈良時代の延暦元年(782)、奈良東 大寺の徳一(とくいつ・得溢とも)上人というお坊さんだといいま す。いまこの山にある筑波神社の前身、知足院(ちそくいん)中禅 寺(法相宗、後に真言宗)はこの上人が開いたもの。筑波山と号し ます。中禅寺は神仏習合の寺であり、本地垂迹(ほんぢすいじゃく) 説に基づいて伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉(尊イザナミ ノミコト)の2神もまつられました。 徳一上人は藤原仲麻呂(奈良時代の公卿)の第9子。徳一上人 が開いたとされる会津磐梯山の「恵日寺縁起」には、鎌倉時代の 『元亨釈書』(げんこうしゃくしょ)引き合いに出し、次のように 書かれています(『山岳宗教史叢書17』所収から)。ちょっと長い ですがご容赦を。 「徳一学(二)相宗于修圓(一)、甞依(二)本宗(一)作(二)新疏(一)、 難(二)破伝教大師(一)、相徒称(レ)之一闢(二)常州筑波山(一)、 寺門葉u(益)茂、「而嫉沙門荘侈麁食弊衣恬然(この部分欠落)」。 自怡終(二)恵日寺(一)、全身不(レ)壊、寺僧相傳、得溢寂(二)于 筑波山(一)、時有(二)奇異之告(一)、而金耀固剛力、遂取(二)溢 首(一)来葬(二)于比(一)矣(い)、自来溢(いつ)忌日、筑波十 一月八日行(レ)之、此山十一月九日行(レ)之」。 …つまり、徳一上人は、「法相宗を奈良興福寺の修円上人に学び、 嘗つて本宗により、新しい経典の注釈書を作り、伝教大師最澄を論 破した、曹洞宗徒がこれを称賛し一に常州築波山寺(筑波山寺)開 き、寺一門が繁栄しました。築波山寺が繁栄するにしたがい、僧ら がおごった暮らしをするようになっていきました。徳一は、それを 嫌いました。 そして粗衣粗食、慎ましい生活を好み、福島県磐梯山ろくに開い た恵日寺で亡くなったという。しかし徳一は死んでも全身壊びず、 壊死(えし)していなかった。寺の坊さんたちが伝えるところで は、徳一は筑波山に葬られているという。そんな話を聞いた弟子 の金耀(こんよ)という僧が、むりやり徳一上人の首を取って恵日 寺に持ち帰ってきたという。 そのため徳一上人の忌日は、筑波では11月8日、恵日寺では11 月9日と、いまのように行なわれるようになった」そうです。徳 一上人は過激な性格で、最澄だけでなく空海にまで食ってかかり ケンカを売ったこともあったというからすさまじい。 先の「全身が壊死せず」の記述から、上人は筑波山に天狗にな って帰ってきているという伝説があります。また天狗かあ、とい う声が聞こえそうですが、申し訳ありません、修験の山になると、 どうしても天狗がからんででまいります。 江戸後期、江戸下谷の長屋から寅吉という少年が天狗にさらわ れ、茨城県笠間市の岩間山(いまの愛宕山)に連れて行かれたとい う事件がありました。そして、しばらくこの山で天狗と一緒に生活 し、長屋に帰ってきたといいます。当時、江戸中が「天狗小僧寅吉」 と大評判になりました。 それを聞いた天狗好きの国学者、平田篤胤(あつたね)が、毎日 のように寅吉のところに通い、天狗の世界の様子を聞いたという。 そして平田篤胤は、『仙境異聞』(せんきょういぶん)という本にま とめたのでした。 その中に「(篤胤)問ふて云はく、岩間山といふは、常陸国の何 郡に在る山ぞ。寅吉云はく、筑波山より北方へ四里ばかり傍らにて、 峰に愛宕宮あり。足尾山、加波山、吾国山、など並びて、笠間の近 所なり。竜神山といふもあり。此の山は師の雨を祈らるる所なり。 岩間山に十三天狗、筑波山に三十六天狗、加波山に四十八天狗、日 光には数万の天狗といふなり」の一文があります。 この筑波山には筑波法印という大天狗が、三十六天狗を従えてす んでいるというのです。筑波法印といえば、『天狗経』に出てくる 四十八狗の中でも代表的な天狗です。また役行者の天狗揃えや、 諦忍の『天狗名義考』、平田篤胤の『古今妖魅考』、林羅山の『本 朝神社考』など名著に名を連ねる有名な天狗です。 しかしどんなことをした天狗かというと、その伝説がほとんど なく、おとなしく地味な存在です。それもそのはず、筑波山の女 人禁制はいつのまにか立ち消えになり、天狗が最もまもるべき五 戒のひとつ自由恋愛?歌(かがい)の行事、登拝に先達もいらな い登山道中…、全く天狗の出場所がありません。これでは天狗の 意気もあがらないのも分かります。 さらに明治維新の神仏分離令で、廃仏棄釈の暴挙に発展、山の 寺院は、軒なみ手ひどい打撃を受け、お寺や仏像、仏器、経巻の 類を焼かれるという追い打ち……。このようにして中禅寺も破壊 され廃されて、いまの筑波山神社が主になってしまいました。こん なありさまの筑波山に大天狗筑波法印のいるところがあるのでしょ うか。 わずかに筑波神社老禰宜の話としてこんな話が残っています。 「徳一上人は磐梯の恵日寺で亡くなったことになっていますが、 実際は棺の中に亡きがらはなく、衣類だけが残っていた、天狗に なって筑波へ戻ってきていると祖父から聞いたことがある……」。 ある時、天狗研究者の知切光歳氏が筑波神社に話を聞きにいった という。若い神職は「当山にはそんな迷信的なバケモノはすんで おりません。筑波法印なんて名は聞いたことがありません」とに べもなかったという。 筑波法印も「迷信」のひとことでかたづけられたというのです。 それでも光歳氏はあきらめず老禰宜に面会をもとめ、上記のよう な話を聞きだしたのです。「今どきこんな話をしても人に笑われる ばかりですが…」と筑波神社の禰宜が遠慮がちにいったといいま す。いま筑波山といえば「ガマの油売り」……。完全に観光地化 されてしまったこの筑波山に大天狗・筑波法印が住む場所はすで にないのでしょうか……。 さて、この山には奇岩が多く、それぞれに伝説がともなってい ます。女体山頂への途中にあるガマ石(ガマ石)は、筑波山につき 物の「ガマの油売り」の口上の発祥地。江戸時代の香具師、永井兵 助がこの石の前でその口上を考え出したという。また江戸後期の北 方探検家間宮林蔵が13歳の時出世を祈願した立身石もあります。 そのほか、弁慶の七戻り岩、大仏岩、屏風岩、北斗岩、裏面大黒、 出船入船、高天原、母の胎内くぐり、セキレイ石、立身石、御海な ど神仏や動物にちなんだ奇石が目白押しです。なかでもとくに、女 体山頂東、白雲橋コースを下った所にある「弁慶の七戻り岩」は、 頭上の岩が落ちそうで弁慶も七戻りしたところとして有名です。 ところで、この筑波山に弁慶がいつごろ来たか気になるところで す。弁慶が牛若丸と同行した奥州平泉往復の様子を調べました。弁 慶の父は、紀州熊野の別当湛増(弁心とも弁しょうともいう)。母 は二位大納言の姫君で、湛増が強奪して生ませた子が弁慶だという。 生まれた時から髪の毛がフサフサ、奥歯も前歯も大きく生えていた という。 父は「鬼子」だとして殺そうとしましたが、母からの哀願で助け られ、比叡山に預けられますが、性格が乱暴すぎて追放。その後播 磨(いまの兵庫県)の書写山(姫路市)に身を寄せますが、ここで も同じことで追い出されました。仕方なく京に出て千本の太刀を奪 う悲願を立てた弁慶が、牛若丸に出会っておなじみの橋弁慶伝説が 生まれます。 牛若丸の家来なった弁慶一行は、奥州へ下ります。『義経記』、『平 治物語』などの資料によると、義経16歳の時、奥州へ出立。途中 鏡の宿で元服(滋賀県竜王町鏡)、いままで牛若丸・遮那王(しゃ なおう)といっていたのを、はじめて源九郎義経と名乗ります。こ うして奥州平泉(岩手県平泉町)の藤原秀衡の元へ。 こんどは逆のコースです。治承4年(1180)、源頼朝が兵をあげ たこととを聞いた義経弁慶はいざ鎌倉へ向かいます。途中、阿津賀 志山(福島県国見町の厚樫山)、安達ケ原から鬼怒川を越えて宇都 宮、武蔵国足立郡小川口(埼玉県川口市)、武蔵国国府(東京都府 中市)、相模の平塚(神奈川県平塚)、伊豆の国府(静岡県三島市) …と目指し、駿河浮島ケ原での頼朝との涙の対面となります。この ような記述からみると、弁慶が筑波山周辺に立ち寄った形跡はない ようです。 ところが、茨城県桜川市にある雨引山楽法寺というお寺に、義経 たちがこの寺に立ち寄り、その時写した「弁慶の写経」というのが あるというのですからどうしましょう。茨城県桜川市の雨引観音と 親しまれている雨引山楽法寺の貫主さまがこんなことを書いていま す。 義経は、源頼朝が平氏打倒の旗をあげたのを伝え聞き、「奥州平 泉を発足した源義経一行は、一路南下して治承4年(1180)秋も深 まる10月、茨城県筑波山の北の雨引山楽法寺に入りました。弁慶 は、紀州熊野神宮の別当僧湛増の息子であり、南都の寺院とは縁の ある当山に参籠、戦勝を祈願したという。 その時、弁慶が法華経を写経した。その写経は、いまも寺に大切 に保存してある」そうです。弁慶が筑波山に登ったのはまさにこの 時でしょうか。このほか常陸の国での弁慶に関する伝説には、霞ヶ 浦の三叉沖の鐘ヶ淵伝説がありますが、その確率は低いようです。 筑波山の頂上からは、関東平野が一望に見渡せます。東に太平 洋、西に富士山、南に霞ヶ浦、北に日光、那須の連山が見ること もできます。またホシザキユキノシタや、ツクバウグイスカグラ など珍しい植物も見られます。 さらにもうひとつ。埼玉県秩父に両神山という山があります。 ここも筑波山に関係のある山。その名は、八日見山(ようかみや ま)がもとだといいます。日本武尊が東夷征伐のとき、八日の間 この山(両神山)が見えていたのでヤウカミヤマ(八日見山)と いっていたそうです。ヤウカミヤマがリョウカミヤマになり両神 山とあて字されたとされています。 そのもとには下記のような事情がありました。『古事記』景行(け いこう)天皇段の日本武尊東征の話の中に、「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」とうたひたましき。爾(なんじ)に其の御火焼(み ひたき)の老人、御歌に続ぎて歌曰ひしく、「かがなべて、夜には 九夜、日には十日を」とあります。『日本書紀』にも同じような記 述があります。これをヒントに建てられたのが小鹿野町泉田の歌 碑。それには、「筑波嶺をはるかへだてて八日見し妻恋ひかぬるお しか野の原」と彫られています。 ▼筑波山【データ】 【所在地】 ・茨城県つくば市と桜川市(旧真壁郡真壁町)との境。つくばエ クスプレスでつくば駅からバス、筑波山神社入口、ケーブルカーで 筑波山頂駅、男体山(西峰871m)まで15分、女体山(東峰最高 点877m・1等三角点のある所876m)まで15分。 【位置】 ・女体山最高点:北緯36度13分31.36秒、東経140度6分24.95秒 【地図】 ・2万5千分の1地形図「筑波(水戸)」 ▼【参考文献】 ・「恵日寺縁起」(『山岳宗教史研究叢書17』所収) ・『角川日本地名大辞典8・茨城県』竹内理三(角川書店)1991年 (平成3) ・『義経記』(日本古典文学大系37)岡見政雄校注(岩波書店)195 9年(昭和34) ・『古事記』:新潮日本古典集成・27『古事記』校注・西宮一民(新 潮社版)2005年(平成17) ・『山岳宗教史研究叢書17』「修験道史料集1・東日本編」五来重 編(名著出版)1983年(昭和58) ・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52) ・『仙境異聞・勝五郎再生記聞』平田篤胤著・子安宣邦校注(岩波 書店)2018年(平成30) ・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50) ・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9) ・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9) ・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16) ・岩波文庫『日本書紀(二)』校注・坂本太郎ほか(岩波書店)1996 年(平成8) ・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成 4) ・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成 2) ・『日本伝説集』高木敏雄(ちくま学芸文庫・筑摩書房)2010年(平 成22) ・『日本歴史地名大系8・茨城県の地名』(平凡社)1988年(昭和63) ・『常陸国風土記』:(『風土記』(東洋文庫145)吉野裕訳(平凡社) 1988年(昭和63) ・『平治物語』(日本文学全集7平家物語他)井伏鱒二訳(河出書房 新社)1960年(昭和35) ・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004年 (平成16) ・『両神山・風土と登山案内』飯野頼治著(実業之日本社)1975年 (昭和50) |
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(主に画文著作で活動)
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