▼388号
「北ア・三俣蓮華岳の鷲」
【概略】
かつてはこの山を「鷲羽ヶ岳」と呼んでいたという。1910年(明治
43)年、登山家小島烏水が登山中、連れていた犬が鷲に襲われたり、
中西悟堂も短歌に鷲のこと詠っています。三俣蓮華は実際に鷲や鷹
のすみかだったといいます。
・長野県大町市と富山県富山市、岐阜県高山市上宝町との境。
▼388号
「北ア・三俣蓮華岳の鷲」
【本文】
北アルプス黒部川源流にあり、長野県・岐阜県・富山県の3県境に
そびえる三俣蓮華岳(みつまたれんげだけ・標高2841.2m)。かつ
ては鷲羽岳(わしばだけ)と呼ばれていたといいます。
しかしその北東にもいまでいう鷲羽岳(2924.2m)があり山名が大
混乱します。そこで「ふたつの鷲羽岳」などといわれました。
鷲羽岳の文字が出てくるのは、江戸時代、越中富山藩主が自領内の
黒部川源流の山々を調査させて作った1697(元禄10)年の奥山廻り
の記録に「鷲ノ羽ヶ岳」とあるのが最初の記録だそうです。
当時鷲羽岳は、越中、信濃、飛騨の三国境の山(三俣蓮華)を中心
に周りの山々の総称だったらしいという。
1808(文化5)年ごろから東側の壮大な峰を「東鷲羽岳」として、
いままでの広義の鷲羽岳から独立させます。
残った鷲羽岳は当然、いまの三俣蓮華岳のことになります(東鷲羽
岳に対し、西にある三俣蓮華岳を、西鷲羽岳と記す絵図もあったと
いう)。
これが明治以後、登山者の誤解で混乱し、いまは東鷲羽岳(竜池ヶ
岳とも)を鷲羽岳と呼んでいます。
三俣蓮華は実際に鷲や鷹のすみかだったといいます。1910(明治43)
年、登山家小島烏水が登山中に連れていた犬が鷲に襲われたことが
あったという。
また中西悟堂も短歌に鷲のこと詠っています。へ、明治時代ころか
ら猟師以外に犬を連れて山に登っていた人がいたんですねえ。
▼鷲羽岳【データ】
【山名】
・【異名、由来】:江戸時代は越中、信濃、飛騨の三国境の山(三俣
蓮華)を中心にまわりの山々の総称だった。
【所在地】
・長野県大町市と富山県富山市旧大山町各地区名(旧上新川郡大山
町)との境。JR大糸線信濃大町駅からタクシー・高瀬ダムから歩
いて延べ12時間で鷲羽岳。三等三角点(2924.2m)がある。地形図
に山名と標高が記載。
【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第53番選定):日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる。
・清水栄一選定「信州百名山」(第59番選定)
【位置】
・【三角点】緯度経度:北緯36度24分10.92秒、東経137度36分18.88
秒(電子国土ポータルWebシステムから検索)
【地図】
・2万5千分の1地形図「三俣蓮華岳(高山)」。5万分の1地形図
「高山−槍ヶ岳」
【山行】
・某年8月14日(木・くもり)鷲羽岳探訪
【参考】
・「富山県山名録」橋本廣ほか(桂書房)2001年(平成13)
・「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・「日本百名山」深田久弥(新潮文庫)1979年(昭和54)
・「飛騨山脈の縦走」辻村伊助:(「日本山岳風土記・1」(宝文館)
1960年(昭和35)所収
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