▼609号 「北ア・白馬岳ハクサンコザクラ」
【概略】
昔、小谷村の長者の娘・手巻には逢瀬を重ねる若者がいた。父親の
意志で別れることになった若者は、白馬岳の魔神・大婆王の正体を
現し、娘を小脇に抱え白馬岳に飛び去った。翌朝、お花畑は飛び散
った手巻の血で染まり、以後、純白だったハクサンコザクラの花は
紅紫色になっていたという。
・サクラソウ科サクラソウ属の多年草
北アルプスの白馬岳は高山植物の宝庫。シロウマアサツキとかシロ
ウマタンポポ、シロウマウスユキソウなどシロウマなんとかという
名前の植物が15種あるとか20種以上を数えるという本までありま
す。
▼609号 「北ア・白馬岳ハクサンコザクラ」
一方ここで最初に採取はされなかったけれど、白馬岳にもサクラソ
ウに似たハクサンコザクラがあります。
7〜8月、花茎の上に直径2センチくらいの紅紫色の花を1〜10ほ
ど愛らしく咲かせています。
花びらは5つに深く裂け、ひとつひとつの花弁もまた裂けた形。花
盛りのとき訪れると、まるで紅いじゅうたんの中にいるようです。
江戸時代の植物学者・飯沼慾斎の時代から牧野富太郎の時代くらい
までは、ハクサンコザクラの名はなく、ナンキンコザクラと呼んで
いたそうです。
昔は珍奇なものや、小さくて愛らしいものにナンキン(南京)の名
をつけて呼ぶことが多かったという。当時この種の産地がはっきり
しなかったため、中国渡来と思ったか、または、わざわざ珍しく見
せるためにつけたのではないかといわれています。
ところが、サクラソウの1品種に同じナンキンコザクラというのが
あるのでややこしくなります。そこで高山植物の権威者・武田久吉
が改めてハクサンコザクラと正式に命名したのだそうです。
このハクサンコザクラは昔は純白だったという。その昔、いまの小
谷村の長者の娘・手巻(たまき)は評判の美人。嫁に欲しいと引く
手あまたでしたが、長者は相手に不足と取り合いませんでした。
が、手巻には逢瀬を重ねる若者がいました。若者はいつも白馬岳の
方からやってきました。狭い山里のこと、いつかこのことが父親に
知れ、別れることを約束させられます。
娘は若者にいいました。お前さまにはすまないけれどゆえあって今
夜かぎり…。とたんに若者は山の魔神・大婆王の正体を現し、娘を
小脇に抱え白馬岳の頂上目指して飛び去ったという。
翌朝、白馬岳に夜が明けてみるとお花畑は飛び散った手巻の血で染
まり、以後ハクサンコザクラの花は紅紫色になったという伝説が残
っています。
昔の人はこのように山を深く畏怖していたのですね。
・サクラソウ科サクラソウ属の多年草
▼【データ】
【山名】白馬岳(しろうまだけ)・大蓮華山(おおれんげやま)。苗
代づくりの目安になる黒い馬の雪形が由来。苗かき代馬岳が代馬(し
ろうま)になり白馬岳になった。山頂の山名案内板は、1916年(大
正5)に新田次郎の小説「強力伝」のモデルとなった強力たちが持
ち上げたものとされている。
【所在地】
・長野県北安曇郡白馬村と富山県下新川郡朝日町との境。大糸線白
馬駅の北西10キロ。JR大糸線白馬駅からバス、猿倉から大雪渓経
由6時間15分で白馬岳。一等三角点(標高2932.2m)と山名案内板
がある。地形図に山名と三角点記号と標高2932.2m文字と南側に石
碑の記載あり。三角点より南南西方向362mに白馬山荘がある。
【位置】
・【三角点】緯度経度:北緯36度45分30.71秒、東経137度45分30.77
秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
【地図】
・2万5千分の1地形図「白馬岳(富山)」(電子国土ポータルWebシ
ステムから検索)。5万分の1地形図「富山−白馬岳」
【参考】
・「植物の世界・2」(朝日新聞社)1996年(平成8)
・「世界の植物・6」(朝日新聞社)1975年(昭和50)
・「日本の伝説3・信州の伝説」浅川欽一ほか(角川書店)1976年
(昭和51)
・「日本の伝説3・信州の伝説」浅川欽一ほか(角川書店)1976年
(昭和51)
・「牧野新日本植物図鑑」牧野富太郎(北隆館)1974年(昭和49)
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