山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼923号 越後三山八海山・八ツ峰と八つの海とヤッカイサン

鋸の歯のような岩峰群(八ツ峰)が、地蔵岳、不動岳、七曜岳、白
河岳、釈迦岳、摩利支岳、剣ヶ峰、大日岳、さらに入道岳がならぶ
八海山。名前の由来にはいろいろな説があり、八つの池(海)があ
るとか、八つの峰が梯子段だとする八階山説、八つの沢谷の八峡山
説などがあります。馬鍬や田植え爺の雪形があらわれます。
・新潟県南魚沼市。

【本文】は下方にあります

▼越後三山八海山・八ツ峰と八つの海とヤッカイサン

【本文】
鎖場が続く信仰の山、八海山(はっかいさん1778m)。入道岳とい
う別称もあります。山頂は鋸の歯のような岩峰群(八ツ峰)が、地
蔵岳、不動岳、七曜岳、白河岳、釈迦岳、摩利支岳、剣ヶ峰、大日
岳、さらに入道岳がならんでいます。最高峰は1778mの入道岳。
なかでも大日岳は、大日如来をまつる岩窟もあり、奥の院とも呼ば
れています。また各登山口にはそれぞれに里宮がまつられています。

この尾根に連なる中ノ岳、駒ヶ岳の合わせての越後三山は、かつて
は三岳講、八海講の信者が三山駆けをしたところ。ここは山岳信仰
の霊山で、かつては修験者たちが修行をしたところ。いまでも白装
束で参拝登山をする人たちの姿を見ることができます。

八海山の名は、江戸時代から3つの解釈があり、この連峰が8層あ
って梯子段の形になっているため「八階」からきたとする説、山中
に8つの沢や谷があって「八峡」と言ったことからきた説、また山
上に8つの池(海)があるからとの説があります。

八階や八峡はどれという伝承もありませんが、八海については「八
海山御伝記」という文書に次のような記述があります。御池名とし
て、古気池(難陀竜王・なんだりゅうおう)、裏冨池(跋難陀竜王
・ばつなんだりゅうおう)、瓶丹池(娑伽羅竜王・しゃがらりゅう
おう)、硯池(和修吉竜王・わしゅきちりゅうおう)、日池(徳叉迦
竜王・とくしゃかりゅうおう)、月池(阿那婆達多竜王・あなばだ
ったりゅうおう)、神生池(摩那斯竜王・まなしりゅうおう)、赤石
池(優鉢羅竜王・うばらりゅうおう)以上八海也。とあり、八大竜
王の棲む池として8つの池が選ばれそれを八海と呼んだらしい(『山
岳宗教史研究叢書17』)という。

ここはもともと、国狭槌尊(くにのさづちのみこと、『日本書紀』
の天地開闢の段に登場する神)という神のとどまるとされる山。そ
の昔、弘法大師空海が、湯殿山を開いた折りに、越後の海辺を通っ
た時、八海山に紫雲がたなびくのを見ました。

星空明の「八海山御伝記」には「夫八海者、天地開闢元気水徳神国
挟槌尊ノ霊魂留ルト雖モ、此ニ空海上人湯殿山開闢ノ節、当国海辺
ヲ通リ、東ヨリ紫雲靉靆(あいたい)、是ヨリ奧ニ霊山有リ、夫(そ
れ)ヨリ登山アリ。此ニ霊松ノ木アリ、大聖松神社ト名(なづ)ケ、
三日山夜ノ護摩修行有リ。大聖観(歓)喜天ヲ勧請有リ。頂上不動
明王祭。……」とあります(『山岳宗教史研究叢書17』「修験道史
料集1・東日本編」)。

空海がこの山に登って見たところ「霊松の木」を見つけました。そ
こを大聖松神社と名づけ、3日3晩の護摩修行を行い、大聖歓喜天
を勧請して、山頂に不動明王をまつったとしています。さらに大聖
歓喜天(だいしょうかんぎてん・日本では除災招福の神)を勧請、
山頂に不動明王を祭ったといいます(しかし、この記述は時代も内
容も合わないところから、なにかの誤記ではないかとの指摘もあり
ます)。

ま、それはともかく、江戸後期になり、秩父出身の木曽御嶽行者、
普寛(ふかん)上人が、地元出身の泰賢と屏風道の登山道を開き中
興開山します。七合目屏風岩に社殿を建て、題頭羅親王(だいずら
しんのう・大般若十六善神の一)を勧請しました。

以来、御嶽行者が盛んに訪れ、八海大神イコール題頭羅親王という
図式が出来あがり、盛んに信仰登山が行われたといいます。各所に
ある霊神碑は御岳信仰の特徴の一つでした。江戸時代末期、変摂(へ
んしょう)という行者が八海山で修行、さらに奥の中ノ岳を開いた
そうです。この行者と同じ出身地の女性が、子供の時から親に聞い
た話があります。

この行者は八海山で行をしているときは、穀物は食べずにソバ粉を
食べていたという。そのソバ粉は、天狗にいいつけて大崎の生家に
取りに行かせたそうです。生家ではいつ来るか分からない天狗のた
めに、ソバ粉を戸口の外に出して置いていたのですが、いつの間に
かなくなっていたという。変摂行者は、何百貫もの岩を動かしたと
か、水の上を渡ったとか、その他天狗も足元に及ばない法力を使っ
たという話が伝わっています(『山岳宗教史研究叢書9』)。

一方、木曽御嶽の前衛には、八海山や三笠山があり、各々題面親王、
刀利天がまつられ、それぞれ八海山題頭羅坊、三笠山刀利天坊とい
う天狗として信仰されています。また秩父の両神山にも八海山と呼
ばれる場所があり、大頭羅神王の石像が祭られています。そんなと
ころから各地の山の妖怪、特に天狗を訪ねる者にとって、ここに祭
られる神たちも木曽御嶽の天狗の分身であると信じたいところで
す。

八海山といえばいまでは銘酒「八海山」も幻の酒と人気です。しか
し、以前は登山口大崎口の八海三尊神社社務所も酒蔵も繁盛の程度
がどうもイマイチ。さまざまな企画を練ってはイベントを組まねば
ならず、地元の口の悪い人から「ヤッカイサン」と陰口を叩かれた
こともあったそうです。

八海山にも雪形出て、ふもとの村の農事暦に利用されてきました。
西麓にあたる新潟県魚沼地方では、八海山に馬鍬の形が現れると代
掻きの目安になり、田植え爺の形になると田植えをはじめるという
そうです。山麓の新潟県魚沼郡では、八海山に馬鍬の形が現れると
代かきの目安になり、田植え爺の形になると田植えをはじめるとい
う。

また北方面にある「山古志」地区では、八海山の雪形が馬鍬を引い
ているとき代かきをはじめ、馬が立った形に変わると田植えをはじ
めるという。やがて馬はウサギの形になり、鎌の形になったとき「畦
なで」を終わらせます。

同じく山古志地区の種苧原(たなすはら)に伝わる話です。江戸時
代天明のころ日照りが続いたという。村人は、ことしの五月の節句
には豆蒔きしないと誓いながら、八海山に雨乞いをしました。はた
して雨が降りだしました。

しかし、村人の中に誓いを破った爺がいたのです。八海山の神さま
が怒り、その爺を山に吹きつけました。それが代かき馬と、豆蒔き
爺の雪形になっていまも残っているということです。

▼八海山【データ】
【異名・由来】
・別称:入道岳。

【所在地】
・新潟県南魚沼市。JR上越線五日町駅の東10キロ。上越新幹線
浦佐駅からバス、八海山入り口下車。6時間20分で大日岳。

【名山】
・「日本二百名山」(深田クラブ選定):第126選定(日本百名山以
外に100山を加えたもの・日本三百名山にも含まれる)
【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から
・大日岳:北緯37度06分20秒、東経139度01分00秒

【地図】
・旧2万5千分1地形図名:八海山、五日町

【参考文献】
・『角川日本地名大辞典15・新潟県』田中圭一ほか篇(角川書店)
1989年(平成1)
・『山岳宗教史研究叢書9・富士・御嶽と中部霊山』鈴木昭英編(名
著出版)1978年(昭和53)
・『山岳宗教史研究叢書17』「修験道史料集1・東日本編」五来重
編(名著出版)1983年(昭和58)
・『神道集』安居院作(南北朝時代)(東洋文庫・94)貴志正造・訳
(平凡社)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「旅と伝説」三元社(昭和17年4月号)「山と地形のことば」高
橋文太郎:『民俗学資料集成・29』(岩崎美術社)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系15・新潟県の地名』(平凡社)1986年(昭和61)
・『名山の文化史』高橋千劔破(河出書房新社)2007年(平成19)

ゆ-もぁイラスト・漫画家・
山と田園の画文ライター
【とよだ 時】

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